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19歳のときに世界一周ひとり旅をしたことについて

「世界一周」はだれでもできる

世界一周をはじめて成し遂げたのは、世界史ではフェルディナンド・マゼランということになっている。
マゼランは途中で戦死したため、世界一周をしたのは正確には「マゼラン艦隊」と言うべきだろう。

マゼランの生きた大航海時代は、船舶での世界一周であった。

科学が発達していなかった当時は、帆船による航海は命がけであった。健康な若い船乗りたちが、長期の航海になると、バタバタと倒れて死んでしまう理由もはっきりと解明されておらず、対策も難しかった1

しかし、現代は飛行機があり、宿泊施設がない場所などほとんどない。
世界一周のハードルがものすごく低くなった。お金さえあれば、だれでも簡単に世界一周できる。

そのお金も、何百万も何千万も必要なわけではない。
航空券もホテルも、賢く取捨選択すれば、それほど高額にはならない。

今や世界一周しても、話題にもならない世の中となった。
だれでもできるのが世界一周だ。19歳にもできた。

「世界一周」するとはどういうことか

そもそも「世界一周する」とはどういうことか。

「世界一周」を定義するのは案外難しい。

「世界」を一周することなど不可能だ。

「北極や南極などの極地も含むのか」、「すべての国」なのか「すべての人間の居住地」なのかという「世界」の範囲の問題から、「地球だけ」でよいのか、月や火星、太陽まで含めて「世界」と呼ぶのか。さらに、太陽系をも超えて、天の川銀河、いやアンドロメダ銀河やそのまた先の銀河系までが「世界か」。はたまた超弦理論を解くと、宇宙は10の500乗個あるらしい。それすべてを「世界」と呼ぶのか。

こんなことを書くと読者のほとんどが離脱してしまう気がするが、それほど「世界一周」という言葉が曖昧かつ感覚的に使用されているということである。「世界」とは何か、などという哲学的な問いに発展しなくてはならない。

というわけで、マゼラン艦隊が初の「世界一周」をしたという歴史家の共通認識に従おうと思う。

マゼラン艦隊は、スペインを出発し、以下のようなルートでスペインに戻った。

マゼラン艦隊の航路
Knutux – 原版の投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0より

つまり、大西洋と太平洋をそれぞれ同じ方向に横断し、そして、同じ場所に戻ってきている。

スペインから南米大陸の南端(「マゼラン海峡」と名付けられている)を西へ向かわずに南下し、南極を横断して太平洋に出て、北上し、北極を超えて、さらに南下し、フィンランドやイギリスを経由してスペインに戻ってくる、経線の方向への「世界一周」ではないのである。

この南北ルートならば、世界一周は現代であっても甚だ大変な冒険となるに違いない。

だが、「東西一方通行ルート」で同じ場所に戻ってくることが、基本的に「世界一周」という意味で使われるようだ。2

また、地球の直径は約40,000kmだが、緯度が高くなるほど、その円周は小さくなる。赤道上を一周するのに比べ、ロシアやアラスカあたりを一周するのでは距離が半分くらいになる(たぶん。計算はしていない)。

また、空路が発達した現代では、目的地に最短ルートで直進できる。

一方、船で航路を西へ進んだマゼラン一行は、大陸に阻まれ、緯線に並行なルートで世界一周できなかった。ゆえに航海距離は非常に長い。

現代においては、極端な話、成田から直行便でロンドンへ行き、ロンドンからニューヨークに飛び、ニューヨークから成田に戻ってくれば、3日あれば「世界一周」できる。このような「世界一周のための世界一周」をしたい人はそういないはずだが。

時速900kmのジェット機で空中給油を行えば、40,000kmは50時間くらいで赤道上空を世界一周できるのではないか。

このあたりも考慮すると、「世界一周」とは非常に曖昧な言葉なのだ。

わたしの場合は以下となる。
これが「世界一周」と呼べるか、それとも取るに足りないものなのかは、主観的な評価となろう。

  • 成田空港から出国、太平洋と大西洋をどちらも東回りに渡り、成田空港に帰国。
  • 北緯15度から北緯60度の範囲を空路または陸路で東まわりに進行。
  • 南半球は未踏。
  • 期間は125日間。(ただし、世界一周したら日付が1日ずれるため、どのようにカウントするべきかはわからない)
  • 訪問国は13ヶ国。(ただし、トルコはトランジットのみ)
  • まずアメリカへ入国し、北中米を旅したあと、イギリスを訪問。ヨーロッパを旅行して、帰路につく。

世界一周しようと思った理由

わたしが世界一周をしようと決めたのは、大学に合格した直後であった。

中学2年生くらいになる頃にはすでに、できるだけ早く故郷を出ようと決めていた。

なぜかはわからないが、自分が「狭い場所しか知らない」「無知である」という気持ちが強かった。
井の中の蛙大海を知らず、ではないが、自分は広い海を知らないのだな、という感覚があった。

自分の行動範囲外に広い「世界」が広がっていて、それを見聞きし、知りたい、と思っていた。

高校留学を希望していたが断念。大学で海外に行くのも経済的・環境的に難しいと感じたため、大学ではせめて東京に行くと決めていた。

そして、早稲田大学に合格し、故郷を出ることはできるようになったが、海外に行きたいと思っていたために、ある種の「不満」はあった。

大学在学中に留学すれば良いと思っていたため、合格発表直後にすぐ大学の留学プログラムを確認したが、多額の費用がかかる上、わたしの合格した学部では、基本的には1年留年しなければならなくなるようだった。

一番のボトルネックは、留学先が成績順で決まるということ。

行くなら、絶対に英語圏に留学したかったし、できればアメリカかイギリスが良いと思っていた。妥協してオーストラリア。

だが、当然の如く英語圏は留学先として非常に人気があり、早稲田大学には余裕をもって合格したわけでもない。自分の学力では、英語圏に留学できなくなるのではないかという懸念があった。

奨学金ももらえることとなり、学費が半額くらいになっていたのだが、これは留年をすると給付がストップしてしまうようだった。

このように、様々なことに考えを巡らせていくと、留学そのものの在り方に疑問がわいてきた。

留学は一都市に長期で滞在する。
当時はアメリカ留学が第一希望だったのだが、滞在先はロサンゼルスやニューヨークなどの大都市がよいと思っていた。

そして、思った。

もしアメリカに留学できることになっても、田舎町に留学することになったら——。

アメリカは隣の都市に行くには飛行機や長距離バスでの移動となる。
もしカリフォルニアの大学に留学できたとしても、カリフォルニアだけに滞在して、ニューヨークやフロリダやシカゴは見れない。

留学で、はたして「世界」を知ることができるだろうか。

留学の目的で最も多いのは「英語力の向上」だと思う。だが、わたしは自分の英語力には満足していた。さらに英語力を伸ばしたいとは思っていたが(今でも思っている)、英語は外国でなければ学べないようなものではない。留学したからといって、英語力は向上するものでもない。

そこで初心に戻ったのである。

「世界が見たい」というのが、わたしの目的だ。

ならば、留学するより、旅行で世界各地を訪れたほうが、己の見聞や知識が深まるのではないか。

改めて学部のカリキュラムを確認すると、卒業に必要な単位数は3年で取ることが可能であるということに気づいた。
文系学部のほとんどが4年生は就活のため、大学に行かないケースが多いらしい。

そして、わたしの学部では、大学2年次は、完全に自由に好きな科目を選択できるらしかった。つまり必修科目がなかったのだ。

極端な話、2年生では、1学期まるまる科目を1つも履修しなくてもシステム上、問題がない。
大学に行く必要もなく、日本にいる必要もない。

というわけで、入学前にすでに、2年の春学期に世界一周する計画を立て始めていた。
春休みと夏休みを含めると、7ヶ月くらいは日本を離れられる。

実際には、大学1年のときに、カナダに「予行練習」の旅に出たり、旅行中に訪問国や旅のスタイルを変えたりしたことで、4ヶ月間の世界一周となったが、本当に行きたかった場所はすべて訪れることができた。

念入りな準備を行う

わたしは、自身を「慎重派」な人間であると自己分析している。

中学受験、高校受験、大学受験、大学院受験、と受験に失敗したことは一度もない。
これは、念入りに準備(受験勉強など)をしているからだ。

目標の達成のために、その成功が妨げられそうな可能性を徹底的に探しだし、分析し、事前に対処しておき、対処できない場合は対策を練っておく。

ホームズっぽく言うならば、「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが成功への道となる」とでもいうところか。(ちょっと日本語おかしい?)

「スリに遭ってパスポートを無くして大変だった」とか「事件に巻き込まれたが間一髪、命拾いした」などと、武勇伝さながら語る旅行家がいるが、これは自慢でも笑い話でもなく、ただの愚行のように思える。

トラブルはないに越したことはない。できるだけトラブルが少なく物事を成功へと導けるのが賢い人間だと思う。

だから、目標を達成するためには、念には念を入れた準備を行うのがマイポリシーだ。

予算

旅行の準備の最たるおのはお金だろう。
色々、シミュレーションしてみて、150万くらいあれば、世界一周できると判断した。

世界一周の費用について、詳しくは別で話している。

そうといえども、旅行において予算はあるに越したことはない。
できるだけ、効率よく稼げるバイトを探し、できるだけ多くのお金を持って旅立とうと考えた。

運良く、8時間でも12時間でもシフトに入れるバイトを見つけることができ、夏休みは本当に毎日シフトに入った。

家賃や食費は仕送りをもらえていたから、バイトで稼いだ金額はすべて旅行資金のために貯金できた。

予行練習でカナダへ

世界一周のまえに、その予行練習としてカナダに渡航することにした。

わたしは、大学入学まで一度も海外にいったことがなかった。
はじめての海外が、長期の世界一周旅行、しかも女ひとり旅、というのは、非常に良くないと感じた(分析した)。

そのため、大学1年の冬にカナダに予行練習として渡航してみたのだった。

カナダに旅行した理由は、単純に縁があったから。
カナダ人と仲良くなり、ホームステイさせてもらえることになった。

クリスマスやニューイヤーをカナダの一般家庭で過ごすという粋な体験ができた。

英語力

世界一周するならば、日常会話程度の英語力はあったほうがよい。
なくても旅行はできるが、旅行体験の質が悪くなると思う。

わたしが最も楽しめたのは、アメリカ、カナダ、イギリス、それにモナコ。
単に、言葉が通じたから。コミュニケーションが取りやすいし、言葉を使う物事をより高レベルで体験できる。

たとえば、ハリウッドのスタジオツアーに参加したとき、ツアーガイドが様々な解説をしてくれた。
これを聞き取れるか、聞き取れないかでは、ツアーから得られる体験の度合に大きな差が生じると思う。

言葉がわからずとも、「へー、ハリウッド映画って、こういうところで撮影されているんだ」と見るだけで楽しめるには楽しめる。

だが、「ここはスパイダーマンの〇〇〇〇のシーンが撮影された場所です」なんていう説明が聞き取れれば、さらに楽しめるのは言うまでもない。

わたしはもともと、早稲田の入試問題を解ける程度の英語力はあった。

それに加えて、上京後、あえて外国人と知り合えたり会話できたりするような機会を求めて、スピーキング力も向上させていた。そのため、英語に関しては全く問題がなかった。

英語力以上の問題は、英語圏以外で、英語を話せる人を探すことかもしれない。
これは旅行を始めてから学んだ。

たとえば、メキシコの空港では、英語が通じず、それなりに苦労した。

だが、ひとまず英語さえできれば、トラブルへの対処がかなり容易にはなると思う。

楽しいことばかりではない

世界一周して良かったかどうかと聞かれたら、迷いなく「よかった」と答える。

しかし、楽しかったかと聞かれると「そうでもない」と答える。

勉強が「よいこと」であるが、必ずしも「楽しい」ものではないのと同じである。

非日常が日常となる

短期の旅行に行った人のインスタグラムやフェイスブックには、楽しそうな写真しかない。

旅行は日常から離れている。非日常は刺激に満ちあふれているものだ。
見るもの、聞くもの、食べるもの——すべてが真新しい。
これは旅行でなければ非常に得にくい高揚感である。

ジェットコースターに乗っている数分間は非常に高揚感がある。日常では味わえない。
このような状況が旅行だと思う。

しかし、世界一周ひとり旅では、楽しさは継続するものではない。

世界一周旅行は、それなりに長期の旅程となる。
そのため、非日常であることが日常となってしまうのだ。

ジェットコースターに2時間乗り続けたと想像してもらいたい。
あの数分の高揚感が2時間ずっと続いているだろうか。

正常な精神の持ち主ならば、ジェットコースターに慣れて高揚感を感じなくなるか、辟易したり体調が悪くなってしまうかのどちらかだろう。2時間ずっと楽しめる人がいたら、正直、人間ではないのではないかとすら思う。

常に移動し、新たな都市へ向かう。常に異なるベッドで眠る。常に異なる料理を食べる。

「真新しさ」は、1、2週間、長くても1ヶ月は楽しさとなり得るが、それ以降はストレスとなってしまう。

ひとり旅はひとりぼっち

わたしの場合、ひとり旅であった。これも、世界一周旅行が途中からストレスになった理由であった。

わたしは、ひとりでいることを楽しめる方であると思う。気心の知れた友人なら良いのだが、ストレンジャーと2、3日行動を共にするくらいならば、1週間完全にひとりでいたほうがましだと思う。

しかし、それでも全く言葉が通じない場所をずっとひとりで旅するのは、しんどいな、と感じた。

洗礼は、メキシコだった。

空港に到着した瞬間から、英語が通じない。タクシーに乗るのも一苦労。知っているスペイン語をつなぎ合わせてチキン料理を注文すると、フライドチキンっぽい大きなチキン6個とトルティーヤが10枚ほど出される。だれがこんなにチキンを食べるんだろう… そもそも、どうやって食べるんだろう。タコスっぽくチキンを包むのだろうか。聞きたいけど、聞けない。聞けても、聞き取れない。(ちなみに、大学で1年間スペイン語を週4で学んだ直後であった)

トラブルというほどのトラブルではないのだが、このような体験を楽しめる人ではないと、長期の旅行を楽しみ続けるのは厳しいのではないか。

そして、ひとり旅であると、このような出来事を愚痴ることのできる人もいない。

日本に電話でもかければ良いのだが、当時はまだ日本ではオンライン通話はLINEくらいしか普及していない。

海外放浪中なのに、日本に電話をかけて日本語を話すべきではないだろう、という愚鈍な意地とでも言うべきものもあった。
「世界一周する」といって日本を飛び出した以上、旅行を中断して一時帰国するのは問題外。

一度はじめたことはやり遂げるべき、と当時は思っていた(今は「止め時を知っているのが賢者」だという考えている)。また、19歳の当時はそれなりにプライドもあった(年をとるにつれ「プライドは邪魔だ」という考えに変わった)。

また、そもそも旅行が楽しいのは、友人や恋人や家族といった一緒にいるだけで楽しめる人と行くから、という側面も大きいのではないか。

そのような人たちとなら、近所のカフェや公園、家の中でも楽しめる。

そのような人たちと、異国で非日常を体験して、楽しくなくなりようがない。

ひとりで世界一周するなら、心から孤独を愛し、自分の中で負の感情を消化(もしくは昇華)できる人であったほうがよい気がする。

疑心暗鬼になる

優しそうで身なりの良い異性が話しかけてきたところを想像してほしい。
「かわいいね」とか「かっこいいね」と言われたり、「どこに行くの?」と尋ねられたり。

日本であったら、嬉しいと感じたり、嬉しいとまでは感じなくとも何気ない会話を交わしたりするだろう。

だが、これが旅行中であると話が変わってくる。
しっかりと物事を考えられる人ならば、以下のような思考プロセスが脳内で行われるのではないか。

「この人、どんな魂胆があるのだろう」
「日本人旅行者を金づるだと思って近づいてきているんだろうか」
「それともただのフレンドリーな人?」
「いや、ぼったくりでもするつもり?」
「はたまた、この人、人身売買の売人?!」

人身売買、まで思考が飛躍するのはそう毎日起こることではないにせよ、旅行中は猜疑心が大きくなる。わたしは慎重派ゆえ、猜疑心の塊になってしまった。

善人は善人の見た目をしている。これは良い。
しかし、悪人も善人の見た目をしている。こちらが難しい。

映画では「いかにも悪人」という悪役が登場するが、現実世界ではそれは皆無で、悪人は悪人に見えないものだ。
見るからに悪人そうな悪人が現実にいたら、悪事を働く前に逮捕されるだろう。

悪人は善人を装って悪事を働くのである。
詐欺師にしか見えない詐欺師がいたら、詐欺など働けないだろう。(この心理をさらに逆手に利用した詐欺師っぽい天才詐欺師がいる可能性はある)

加えて細かいことを言うと、レストランや鉄道に乗っている間、トイレに行けなかったりもする。

ひとり旅だと、すべての荷物を肌身離さず持っている必要がある。
一緒に旅する人に、「ちょっと荷物見ていて」と頼むことはできない。

お手洗いに立ちたくても、隣の人はわたしの荷物を盗まないだろうか、などと疑心暗鬼を生じてしまう。

飛行機の機内ほど閉鎖的な空間ならば問題ないが、3、4時間にも及ぶ鉄道やバスの乗車は辛い。
パリからマドリードの8時間は非常に辛かった。

荷物を置いたままトイレに行って、帰ってきて荷物がなくなっている、なんてことがあっては、笑い事ではない。武勇伝でもない。

わたしは、はじめはバックパックひとつ、途中からスーツケースを追加しただけで、ライトトラベラーの部類に入ると思う。だが、それでも荷物は大荷物だ。

レストランで、これらをトイレへ持ち運びするのも、なんとなく恥ずかしい。(やったけど。)

ホステルなどで相部屋に泊まると、荷物を盗まれやしないか、と思って熟睡することができなかった。
熟睡できないと、体調も万全でなくなり、楽しめるものも楽しめなくなる。

わたしは相部屋のホステルに鍵付きのロッカーがなかったら、バックバックを抱き枕にして、財布を枕の下にいれて眠っていた。

この宿泊事情がストレスとなったため、途中からバックパッカースタイルの旅はやめ、レビューサイトで評価が5段階中3程度はあるホテルに泊まるようになった。これが、半年以上の旅行計画が4ヶ月と短縮した理由である。

ホステル繋がりで話すと、マリファナを吸いまくっている人と同室だったこともあった。
ベランダで吸うだけならまだ良いが、室内で吸われると非常に臭いし、ハイになっていてうるさい。

わたしはバックパッカーにはなれなかった。

節約しつつラグジュアリーな旅をする

世界一周をした当時は学生だったこともあり、それなりに節約した旅であった。

前述の通り、途中でホステルへの宿泊をやめ、「期間や渡航都市数<ストレスなく快適な旅」と量より質を重視するトラベルスタイルに変更した。

できるだけ快適に旅をするようにしたのだが、それでもかなり節約した旅だった。

節約は多かれ少なかれストレスとなる。

だが、工夫をすることで、最大限ストレスを軽減しながら、最小限の費用で旅行することは可能だと思う。

美味しく食費を抑えるコツ

旅の醍醐味のひとつは食である。だから、旅で食費を削ろうというのは野暮と言われても仕方ない。

しかし、旅行をしていて気づいたのだが、本当のご当地グルメは安いのだ。
ご当地で美味しいものはたくさん生産され、たくさん消費されるから、価格競争が起こり、価格が低下する。

日本海側では、太平洋側では何千円もするような海鮮料理が千円以下で食べられたりする。
東京の高価な海鮮丼が北海道の安い海鮮丼に勝っているわけではない。

街に出て人の動きを観察したり、ホテルのスタッフに聞いたりすれば、その場所で何がご当地グルメなのかがわかる。こうして、安くて美味しい料理を食べることができるのだ。

ご当地グルメであっても高価である場合はある。
ホテルスタッフに聞いた場合は、そのようなレストランをおすすめされることも多かった。

これは、「観光客用価格」となっている場合があるからだ。

観光客は1日や2日といった短期間で最大限を体験しようとしている。時間が限られているから、少々高価であっても、お金を出す。

高いお金を出せば、それ相応の対価が得られるのも事実だから、これはwin-winといえばそうではある。

英語メニューのない店を選ぶ

トラベラーの間でよく知られていることなのかもしれないが「英語メニューのない店は美味しい」というのを聞く。

これは、けっこう当を得ていると感じた。

英語圏以外で英語メニューのないレストランは、観光客を目当てにしておらず、適正な価格帯で料理を提供している場合が多い。このようなレストランが客で賑わっていたら、外れることは滅多にない。

ただし、現地語がわからないと、コミュニケーションが取れない場合も多いため、これが難点である。

一日二食にする

世界一周中、わたしは一日二食であった。朝と夜の二回だ。

こうすることで、食費が一回分浮く。

まず、三食食べなければならないということに対して、科学的根拠はない。人間が三食食べるようになったのは近代になってからで、それ以前は一日二食の文化が多いらしい。

食品の製造が一大産業となるにつれ、食品会社が「三食食べるのが健康」という概念を広めたとされている。食品会社はその方が儲けられるからだ。それを当時の医者や栄養士が信じてしまい、現在まで続いているというのだ。

三食食べている人が二食や一食の人と比べて、より健康的であるという絶対的なデータはない。むしろ、三食食べることによって食べる総量が多くなり、肥満や糖尿病になってしまう、というのが最近の研究結果の傾向だ。詳しくは、専門家の著作に委ねる。

わたしは現在、一日一食である。基本的に夜のみ食べる。テニスが趣味なのだが、テニスを4時間する日でも食べるのは夜だけだ。

世界一周した当時はまだ、わたしも一日三食食べていたのだが、世界一周中にはじめて一日二食に切り替えた。というより、偶然、切り替わってしまった。

というのは、朝はホテルのビュッフェで満腹食べる。そのため、ランチタイムはまだお腹がすいていない。それで、夕方に一食食べる。こういう具合だった。

昼間は観光に忙しく、空腹は感じなかった。
食事をしない分、その分だけより観光に時間を費やせたので、お金も節約できて一石二鳥だった。

これに気づいてからは、ビュッフェ式の朝食がついているホテルを選ぶようになった。
ホステルには朝食のオプションがないことも多いが、ホテルが1000円くらい高くても、朝食がついていたら一食分お金がかからない。結果的に節約できるケースが多い。

航空券は直前に予約する

航空券は、宿代と同じくらい旅費の大部分を占める。できるだけ節約したい。

航空券の価格は本当にピンキリである。なぜこれほどまでに異なるのだろうと不思議に思う。
航空会社、トランジットの回数、曜日、搭乗時間などの条件違いで、同じルートであっても10万くらいの差がある場合もある。

そこでわたしは以下の手法を取った。

・安い航空券があった場所に行く
・安い航空券があった日に移動する

従って、ルートは最初に決めていなかった。ホテルも航空券を購入した後で予約した。

マイルやAviosを貯めるということもしなかった。

たしかに、マイルを貯めたら無料で飛行機に乗れるのでお得感がある。
しかし、長い目で見たら航空会社にこだわらず格安航空券を購入したほうが安価な場合が多い。
もし、マイルを溜めている航空会社の航空券が手に入ったらラッキー、くらいに思っておいた。

だが、LCCには乗っていない。大手航空会社の格安航空券を狙った。
フライトが長くなると、狭い座席は苦痛になるのが嫌だからだ。

世界一周航空券は使わないことにした

世界一周旅行をする人の中には世界一周航空券を使用する人がいるらしい。(だから、世界一周航空券とネーミングされているのだろうが)

旅行前に世界一周航空券についてリサーチしたのが、わたしの旅行スタイルには合わないし、それほど節約にもならないと感じた。

事前に渡航する国とルートを決めなくてはならないというのが、一番の理由だった。

もし急に、別の都市に行きたくなったら、もしある都市が気に入ってもっと長居したくなったら——。

こういう時に変更ができないのはデメリットだし、格安航空券の方がわたしの旅程ならば、安いとシミュレーションされた(計算した)。

だが、旅行スタイルや期間によっては、世界一周航空券が適している人もいるかもしれない。

知人の家に泊めてもらう

わたしは世界を知りたいという好奇心に駆られた少女期を過ごしたので、中学生の時から世界各国にペンパルがいた。

ペンパルとは文通相手のことだ。
文通というと手紙のイメージがある。実際、手紙で文通をする人もいたが、メールだけのペンパルもいた。

世界一周中に、何人もペンパルと会った。いつか行きたいと思っていた国のペンパルと文通していたからだ。

このようなペンパルの家に泊めてもらえたため、ある程度、宿泊費と食費が節約できたかもしれない。

わたしは慎重派ではあるが、何年もメールや手紙を交換をしていて、お互いの住所を知っている相手は、さすがに信頼はしていた。Skypeで通話やチャットも行っていたのがほとんどでもあった。

また、わたしは世界一周前の1年間を、東京という世界有数のインターナショナルな都市で過ごした。

各国の現状をそれぞれの国の出身者から話を聞きたかったし、英語のスピーキングの練習もしたかったため、外国人のコミュニティに自らから進んで入った。

そして、結果的に友人となり、世界一周旅行中に彼らの家に泊めてもらう仲にまでなった人もいた。

ただし、家に泊めてもらうときは、人の義理としてお土産を持参したし(日本のお土産げはなく、一つ前に訪れた都市のお土産)、他人の家に泊めてもらうと気も遣う。それに、そう連泊できるものではない。
そのため、大きな節約術というほどではないはずだ。

だが、現地に知人がいると、訪れるべき観光名所やおすすめのレストランなどの情報をもらえる。
そして、かなり正確なのだ。

彼らに教えてもらえる情報は、ガイドブックのように観光客向けの広告で掲載されているレストランや施設ではないのだ。

これは、泊めてもらう以上にありがたいことであった。

総括

結局、世界一周して良かったかのか。この問には、「良かった」と答える。

百数十万かけて行った娯楽が、悪いことばかりとなることは、余程のことでないとありえないと思う。
同じ資本金でビジネスや投資をして、完全なる失敗ということならばあり得るだろうけれども。

旅行への欲求がなくなった

未知なるものに惹かれる人は多いのではないか。わたしは完全にこのタイプに当てはまる。

少し気になるものは、とりあえずやってみたい、試してみたい、と感じてしまう好奇心旺盛な方だ。
かなり気になるものは、その好奇心が満たされるまで徹底的に実行するし、行えない場合はいつもそれが頭の片隅から離れない。

ロンドン、LA、ローマ、マドリード、アテネといった都市は、中学生くらいからずっと行きたいと思っていた。

また、ハリウッドのスタジオを見てみたかったり、ブロードウェイ劇場でミュージカルを鑑賞したかったり、リゾート地での休暇を楽しみたかったり。
このような日本では絶対にできないことで、したかったことがいくつかあった。

そして、行きたかった都市へ行き、やりたかったことの多くができたため、「行きたい行きたい症候群」や「やりたいやりたい慢性病」に終止符が打てた。

世界一周の間に、本当に行きたいと思っていた都市にはすべて行くことができた。

やりたいと思っていて、できなかったことはあった。
たとえば、オールド・トラッフォードで試合を見るなどはしたいことのリストに上がっていたが、断念した。イギリスを訪れたときにはフットボールのオフシーズンだったからだ。

だが、週に1回くらい「いつかやりたいな、いつできるかな」と思っていたようなことは、世界一周期間中にすべて行うことができた。

現在は、世界一周後に新たに興味を持ち、別の分野に好奇心が生じてはいるが、それは旅行を必要としない。
20代で絶対やりたかったことはたいてい、世界一周旅行中に消化できている。

これは、ある種の精神安定となった。

大学卒業してからは、旅行で行きたい場所がなかったため、休暇がほしいと感じなかった。これは、仕事に集中するという意味ではとてもよかった。

一方、旅行に対しては「好奇心がなくなった」ということなので、ある種の退化であるかもしれないが。だが、退化は進化の一種である。

話の引き出しが多くなった

世界一周をしたことで、それなりに多くの国を旅行し、それなりの体験し、それなりの史跡を訪れ、それなりの科学の発展を目の当たりにし、それなりの芸術に触れた。

そのため、どんな話題に対しても、何かしらのリアクションを返すことができるようになった。

例えば、わたしは宝塚を見たことがない。だが、宝塚が好きな人に、ブロードウェイの話題で会話をすることができる。「へー、宝塚ってそうなんですね。ブロードウェイはこうでしたよ」って感じに。

全く知らない話題、例えば、車が趣味の人には、「モナコ行ったことあります」で会話が繋がったことが何度もある。最初、モナコグランプリの話を少しして、その後、モナコの話をすることになるからだ。

車に関して、わたしは全く知識がない。運転免許も持っていない。車の話題は1分も持たない。だが、モナコの話題なら10分は一方的にでも話せる。

顔と名前を覚えてもらえやすくなった

自分から進んで「世界一周したんです」とは滅多に言わない。

しかし、もし何かの拍子にそれがばれれば、例えば「若いのにどうしてそんなに何カ国も旅行しているんですか」とか「そんなにたくさんの国に行って旅行が趣味なんですか」という質問が来たとき、世界一周したことを話したりすることがある。

そしたら、確実に「世界一周した子だ」と顔と名前を覚えてもらえる。

「13ヶ国旅行した人」より「世界一周した人」のほうが断然インパクトがある3

これは、新卒フリーランスとして活動するにあたって、プラスに働いた。

大学生だったころは、新学期の初回の講義で自己紹介をするときなどに「〇〇ヶ国に言ったことがあります」と言うだけで、教員やその他の学生に顔と名前をすぐ覚えてもらえた気がする。

やはり「世界一周しました」とは滅多に言わなかった。ミスコンでの自己紹介文などには書きはしたが、話し言葉では滅多に言いたくない。なぜなのだろう。

たくましくなった

可愛い子には旅をさせよというが、旅に出たら、多かれ少なかれたくましくなるはずだ。少なくとも、可愛い子どもではいられなくなると思う。

世界一周中に、何度も精神的不安定さを感じざるを得なかったため、精神的に強くなったと感じる。

想定外の出来事への対処が上手くなったと思うし、臨機応変に対応する能力や環境への適応能力も高くなったはずだ。

空港で、スタッフにパスポートを見せたら、パスポートを無くされたことがあった。
かなり焦ったが、5分後くらいに取り戻した。わたしのパスポートを無くしたおじさんは謝罪もせず鼻歌を歌っていたため、怒りをあらわにしてしまったが(ここは子どもだった)。

世界一周した後、日本に帰ってきて、夜道が怖くなくなった。日本は非常に安全だと感じる。
ちょっと汚いホテルに泊まっても、「あの酷いホステルに比べたら天国だ」などと思う。

一方で、怖くなくても夜道では背後に気を配る自己防衛能力が自然に身についたし、カフェで貴重品を置いたまま席を立つなどという注意散漫なこともできなくなった。

トラブルに見舞われるのが非常に少なくなったと思う。

日本についてより深く認識できるようになった

といいつつ、最近、コンビニで通帳をスキャンしたときに、置き忘れてしまった。
3時間後くらいに気づいてコンビニに戻った。そしたら、しっかりと保管されていた。

こんな失態を犯したのは久々だった。これは、まだまだ注意散漫だということなのか。

どちらにせよ、落とし物が戻ってくるのは日本ならではの良さである。

カフェで、テーブルに財布を置いたまま、席を立つ人がいるのも、(わたしは絶対にしないが)日本が安全で平和である国であるからだと思う。

このような日本の良さにより気づけるようになった。

絶対評価など存在しない

物事は、他者と比べてはじめて、評価が可能となる。

評価には、絶対評価と相対評価がある、としばしば言われるが、絶対評価というものは存在しない。
他と比較対象して評価しない場合でも、過去の経験や何らかの集団を「基準」として用いるからだ。

「あの人は運動神経が良い」と言うときに、ある人は自分の知人友人と比べていたり、ある人はテレビのスポーツ選手と比べていたり、と何らかの基準がなければ評価という行為は不可能である。

これが評価の本質である。

男と女がいるから性別が分かれる。この世が男だけだったら、男という概念も言葉も区別も認識も存在しないだろう。

「絶対評価」という言葉は、広辞苑では「一定の基準に照らして個人の変化・発達を測定・評価する方法」と書かれている。つまり、個人の元の状態が評価対象として存在しているし、加えて、変化や発達の度合の大きさについては結局は他者や平均と比較した相対評価だ。ここに絶対評価という言葉の矛盾が存在する。

他国を知らずんば自国の良さは知り得ない

海外に行ったことがなくて「日本が好き」と言っている人は、本当に日本の良さを認識した上でそう言っているだろうか。

和食以外食べたことがない人が和食が好きと言っている人のように思う。

イタリアンやフレンチ、中華やベトナム料理——と、様々な国の料理を食べた人が「和食が好き」と言っていると、本当に和食が好きなのだな、と思える。

和食しか食べたことがなかったら、和食が好きなのはあたりまえだ。
食はエネルギーの補給である。嫌いになることはつまりは死を意味する。

和食しか食べない人が和食が好きと言っても、それは他の料理を食わず嫌いしている、それか、和食以外にこの世に美味しいものがある可能性を拒絶しているように思える。

また、一概に「和食」と言っても、すべて好みと合うわけでもないだろう。

わたしは寿司とオムライスが非常に好きだが、肉じゃがやコロッケはそうでもない。嫌いではないが、あえて食べたいものではない。肉じゃがとピザなら、絶対にピザを取る。

少し抽象的な話になったが、世界一周をしたことで、旅行をしていない日本の良さや悪さをより鋭く認識できるようになったと感じる。

ちなみに、オムライスやコロッケは和食なのだろうか。

ギリシャ料理(スブラキ)

多くの評価基準を得られた

評価はすべて相対的と書いたが、世界一周ひとり旅によって、この評価において必要な基準をたくさん得られた。

この評価基準は、日本を評価するためだけではなく、その他の国についても利用できる。
また各国の状況や社会の評価をはじめ、それ以外のありとあらゆる事象や物事に対しての評価において有益だ。

正直、ピカソの『ゲルニカ』は良さが全くわからなかった。ゴッホの『ひまわり』やビーナス像も。
一方、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』には感動したし、サモトラケのニケも美しいと思った。

上記はすべて最高級の美術的ないし歴史的価値があるとされているものだ。

それでも、わたし個人にとっては「どうでもよいもの」が存在する。
また、本当に価値があると共感できるものもある。

旅で様々なものを見聞きし、体験することによって、評価や認識や思考の尺度となる基準を強化することができた。

大衆に評価されているからといって、それが本当に価値があるとは限らない。
専門家が評価しているからと言って、それが正しい評価だとは限らない。

物そのものの客観的価値もそうだし、主観的な自分自身にとって価値は人それぞれだ。

「自分探しの旅」というようなものをする人がいるらしいが、この意味がわたしにはよくわからない。
青い鳥、ではないが、自分はそこに存在している存在、それだけである。そもそも、自分を探すことが可能であるのかがわからない。しかし、もし自分を探せるとしたら、それはこの基準を強化することではないかと思う。

名作が万人にとって名作だとは限らない。
友情が大切だと言われることが多いが、友情が大切ではない人もいる。だから、仲違いが起きるのだ。

世界一周ひとり旅によって、そのようなことを判断する「基準」をたくさん収得することができた。
そして、わたしの場合、それを20歳という比較的早い時期に手に入れることができた。

そう、19歳で出発したのだが、帰国したときは20歳になっていた。

正直に語る

だが、この「基準」は旅行でなければ手に入れられないものではない。
旅行より、読書のほうが、より効率的に手に入ると思う。どんな本を読むかにもよるが。

総じて、世界一周ひとり旅は行って良かったが、能力向上という費用対効果という意味では読書や勉強のほうが優れた経験となると思う。これが本音だ。

このブログでは、正直に本音を語ることをモットーにしている。

正直、世界一周したことは「人生を変える」ほどのインパクトはなかった。

個人的に見聞きしたかったものは見聞きできたし、それ相応の見聞は深まった。
後の人生や考え方に多かれ少なかれ影響を与えた体験もしたとは思う。

だが、同額それに同じ期間を費やすならば、さらに有意義なお金と時間の有効活用法はあると思う。

当時のわたしが、そのお金と時間を費やすならば最も価値があると思っていたものが「世界一周」だっただけだ。

世界一周を他人へすすめようとは思わない。
世界一周に興味がある人は、わたしがすすめなくても、自らすすんで世界一周旅行に出るはずだからだ。

参考・補足

  1. 乗組員の病死の主な原因はビタミンCの不足によるものであったらしい。長期の航海ではビタミンCの摂取が難しく、壊血病を発症してしまう。
  2. このとき、どの程度「同じ場所」に戻ってくるべきかも問題にされないようだ。つまり、成田空港から飛び立ち成田空港に戻れば「世界一周」で、成田空港の同じプラットフォームに降り立ったり、出発時と同じ地点を踏んだりすることはしなくてよいらしい。こんなことばかり書いていたら屁理屈だと思われそうなので、注釈とした。
  3. 実際は、世界一周旅行以外にも海外旅行をしているため、若干訪問国は多い。

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