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新卒でフリーランスになった理由

わたしは新卒でフリーランスになった。大学を卒業した後、企業には就職しなかった。

新卒でフリーランスになったのは、新卒採用で企業に就職することで、自分の望む生き方の実現から遠ざかると思ったからだった。

フリーランスはハイリスクだと思われることが多いが、私には新卒採用で会社員となることのほうがリスクが大きいように思われた。

働き方が多様化し、グローバル化も進む現在、これまでのように大学生のときに新卒採用の枠組みで就活をし、大学を卒業したらすぐに就職、という「王道」は必ずしもすべての人に適していない時代となっている。

実際、「新卒採用」というシステムは日本特有のもので、少なくとも欧米ではかなり事情が異なる。
これからの時代、新卒でフリーランスになったり起業したりする人が、さらに増えていくと思う。

そこで、一個人の経験であるが、私の考えを書いてみることにする。

 Lina(サイエンスライター)

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不確定要素の多い新卒採用

冒頭で「新卒採用はリスクが大きい」と書いたが、これはコントロールできない不確定要素が多すぎるからだ。

まず、大卒の新卒採用では、企業の総合職のポジションで就活することが多い。
この場合、職種を選べない。

例えば、商社で営業をやりたいと思っても、人事や総務に配属されるかもしれない。
営業マンになりたいと思っても、一度、他部署に配属されてしまうと、キャリアチェンジするのはとても難しい。

希望している地域で働けないこともある。
東京でバリバリ働いて経験を積みたいと思っていても、地方に飛ばされるかもしれない。

また、良い上司に恵まれるかどうかは運である。
ロールモデルとなる、丁寧に教育してくれるなど上司恵まれた場合とそうでない場合では、社会人としての成長度は著しく変化する。上司と合わなかったり、嫌われてしまえば、昇進や昇給も難しくなる。

このように新卒採用では自分でコントロールできない要素が多い。
就職する企業が大手や有名企業であればあるほど、不確定要素が多くなる。

私は元々、ライターまたは作家志望であったから、業界としては出版業界やメディアということになる。
しかし、出版社やメディアにおいて、ライターや作家は新卒採用では募集されない。

一番、近しい職種としては出版社の編集者だろうが、運良く倍率の高い出版社に入社できたとしても、編集者になれるとは限らない。自分が興味のない部署に配属されたら、少なくとも1、2年、自分の夢から遠ざかってしまう。

そもそも、ライターと編集者はその役割も仕事内容もまるっきり異なるから、編集者になることがライターになることと直接結びつくわけでもない。

失って取り戻せない唯一のものは時間

23、24歳は若くて、最もいろいろなことを吸収できる時期である。
このような若い時期に、興味がない営業や人事に配属されたら、自分の可能性を狭めてしまう。

大学生の私はそう思った。

40歳や50歳になっても若者以上に精力的に活躍している人を見ている今なら、必ずしもそうではないと思えるのだが、当時は20代前半は最も伸びしろが大きい時期だと思っていた。

今でこそ、新卒採用で入社後、半年足らずで辞める若者もたくさんいると聞くが、当時(といっても6年前)は一度就職したら、3年は同じ会社で働かなければ、転職市場で安売りされるといわれていた。

興味のない仕事に3年は長すぎる。そう思った。

お金は失っても取り戻せる。
恋人を失っても、復縁することはありえる。新しい恋人もできる。
信頼を失うと、その回復には相当の時間と労力がかかるが、取り戻せないわけではない。

しかし、時間だけはどうあがいても取り戻すことはできない。

8時間働いたあとに目標達成のための活動ができるか

私はライター志望だったのだが、ライターになりたいならば、あたりまえだが書いたり読んだりし続けてスキルを上げるべきである。

しかし、会社員として8時間勤務したあとに、ライターになるための活動を行えるだろうか。そう疑問に思った。

本当にライターになりたいと熱望するならばできなくはないはずだ。
会社員として働きながら執筆を続けて作家デビューした人などよくあるサクセスストーリーだ。

しかし、9時から18時の勤務に加え、残業も発生するだろう。
私が大学生の頃はリモートワークなどは全く普及していなかったから、これに往復2時間程度の通勤時間がプラスされる——。

このように考えると、自分のために使える時間は1日2時間がいいところだろう。

仕事で疲れて、自分の目標のために努力する体力が残っていない日も多いはずだ。
今日は疲れたから明日頑張ろう。そして、明日は明日で、また明日頑張ろうと思うのではないか——。

こうして、気づいたら希望を実現することができない状態にまで到達してしまうのではないか。
これが非常に恐ろしいことのように感じられた。

知識は一生物

また、わたしは大学卒業後も勉強がしたかった。
仕事に関連する勉強ではなく、アカデミックな学問としての勉強だ。

わたしは大学において入る学部を間違えた。
高校は理系で、大学で文転したのだが、文系学部で学んでいると、やはり自分は理系な考え方に近くて、より理系分野に興味があると自覚した。

科学に造形のあるライターになりたいと思い始めたのも20代前半だ。
それまでも、文筆業を生業にしたと思っていたが、フィクション作家や歴史ライターなどを志望していた。

本当にサイエンスライターとして生きていくならば、理系の大学院に行ったり、それが難しければ学部に入り直すことも検討していた。
そのためには、基礎的な高校数学・物理・化学・生物から学び直す必要がある。

そのためには、平日1日2〜3時間のプライベートな時間と土日だけでは不十分だと感じた。

給料が低い

① 新卒採用は不確定要素が多い。
② 会社員は自分のために使える時間が少なくなる。

という2つに加えて、会社員は8時間以上拘束されるというのに、20代前半の正社員の給料は非常に低いという不満もあった。

新卒採用で就職すると、手取りが20万に満たないことが大半で、平均は16〜18万らしい。
都市部など、時給が高く設定されている地域では、正社員の初任給よりもアルバイトのほうが給料が高くなる場合も多い。

例えば、大学生のアルバイトの中では、塾講師はそこそこ時給が高く設定されている。
塾で働いていた友人の多くが、初任給が学生時のアルバイトの給料を下回っていた。

大学卒業後の進路は就職だけではない

私は周りに外国人が多い環境に身を置いていた。

日本に来ている外国人、特に欧米人の多くは、学生ではなく社会人だ1
彼らは、大学を卒業して、就職せずに日本に来て、日本語を学んだり、英会話講師としてアルバイトをしたりしていた。

これは日本に来ている外国人が例外なのではない。
欧米では新卒採用という制度がないため、大学を卒業してすぐに会社員となることができるのは一部で、若者の多くがアルバイトをしたり旅行をしたり継続して勉強していたりするのだ。

このような現状を見ていたため、私には日本の新卒採用の制度は奇妙に思われたし、他の可能性があっても良いと思った。

新卒採用というシステムの中で自分の人生を運任せにするのではなく、もっと確実に自分の夢に近づけるような選択肢があるのではないか。もっと夢に直結するルートがあるのではないか。

時間は失ったら取り戻せない。

低い給料でやりたくない仕事をして、夢に遠ざかるかもしれない新卒採用。
それよりは、最悪バイトで食いつないで、自分の夢を実現するために努力したほうがよいのではないか。

大学生の頃は家庭教師をしていて、この他にも良い条件でフレキシブルに働けるバイトもあった。
この2つを合わせただけでも軽く15、6万は稼げる。

しかもこれらの仕事のトータルの勤務時間は、平均すると1日3、4時間程度。

ライターとしては、ウェブライターとしてキャリアをスタートさせるのが妥当だと思っていたから、ライター業でもいくらか稼げることも予想した。

ライター業に加え、英語に自信があったから通訳や翻訳もできる。
そしたら、さらに稼げるのではないか。

ライターや通訳を行うならば、フリーランス、または個人事業主ということになる。

企業に就職せず、フリーランスになったほうが、より将来の希望を実現させる可能性が高くなるのではないか——。

会社員になりたいと思ったことがなかった

こうして、新卒でフリーランスになるという考えを思いつき、考えれば考えるほど、こちらのほうが自分の人生においてメリットがあるように思えた。

日本では「(大)企業で働くこと」に価値を見いだしている人が多いようだ。
特に、有名企業や年収が高いとされている企業で働いている人は尊敬されているようにみえる。

しかし、わたしは大企業で働いている人を「すごい」とか「かっこいい」とか思ったことはない。
名だたる企業だろうが、できたてほやほやのベンチャーだろうが、それが人の評価や好感度の判断材料にはならないと思う。会社の「すごさ」が、そこで働く個人の有能さを反映しているとは思えない。

それより、特別なスキルや知識を持っている人のほうがかっこいいと思う。

「〇〇法律事務所で働いています」よりも「弁護士です」のほうがかっこいい。有名な法律事務所で働いていたとしても、弁護士やそれに準ずるスキルの必要な仕事をしているとは限らない2

また、特別なスキルを持つとは、弁護士や医師など取得が難しい資格を持っていたり、知的活動において秀でていたりするという意味だけではない。

スポーツ選手、イラストレーター、バイオリニスト、ウェディングケーキを作るブライダルパティシエなども尊敬する。

そして、これらの職業の人が持つ「特別なスキル」は新卒採用の募集要項には掲載されていない。

新卒採用は「(大)企業で働くこと」に価値を見いだしている人にとっては良いかもしれないが、わたしのような価値観の持ち主にとっては魅力的には思えなかった。

これは、私の人生において身近な人に会社員がほとんどいないからかもしれない。
大学を卒業したあとは、友人が会社員になっているし、その中の数人は一流企業でバリバリ活躍していたり、20代ですでに大台に乗るような給料をもらったりしている。

しかし、彼らを羨ましいとは思わない。彼らのようになりたいとも思わない。
ただ一個人として、有能だなと思うし、有人として好ましい人物だとは思うのだが、企業名はその評価材料には加わらない。

また、そもそも学生時代に尊敬していた友人の多くが、専門職や経営者や研究者になっているケースが多く、個人への評価においうて所属組織を評価に入れない場合が多い。

医者に対して「●●病院の医者だからすごい」と思うのは医療従事者くらいで、一般には「医師」という職種だけで「この人は医師国家試験に受かるくらい聡明なのだな」と評価するのではないか。

このように、私は会社員になりたい、大企業で働きたい、大学卒業したら就職しなければならない、などという価値観を持っていなかった。

そのため、フリーランスという道があると気づいたらすぐに何の迷いもなくフリーランスになる計画を立て始めることができた。

なぜフリーランスになりたいのか考える

このような経緯で、わたしは新卒でフリーランスとなった。

前例として参考にできる人がまわりにおらず、わからないことが多くて、試行錯誤・暗中模索していたが、なんとかフリーランスとしてやっていくことができた。

新卒でフリーランスになったことを後悔したことはない。
むしろ、フリーランスになってよかったと思っている。

たしかに会社員となった人たちが見ることができる「景色」を見ることはできなかったし、会社員として経験できることにはかけがえのないものもあろう(だから短期間だが一度、正社員にもなってもいる)。

手探りで突き進んでいたから上手くいかなかったことも多かったし、今ならばもっとうまくできるのにと思うことも多い。だが、これは経験をしたゆえの結果論だろう。

なにより、学業にも会社にも邪魔されず、自分のためにじっくりと時間を使うことができた。
これは非常に有意義で贅沢な人生における時間の使い方であった。

結果的に、わたしの人生において新卒でフリーランスとなることはプラスであった。

しかし、価値観や希望は人それぞれ異なる。
そのため、他人には新卒でフリーランスになることはおすすめしない。

フリーランスになりたい人はなればよいと思う。
なって損することがあるかもしれないが、なってみないと得するか損するかはわからないのが実際だ。

フリーランスになる上で考えるべきことは、フリーランスになるのか会社員になるのかということでも、フリーランスのメリットでもない。

どうしてフリーランスになりたいのか、フリーランスになることが自分の人生においてどのようにプラスに働くのかということではないか。

Lina (サイエンスライター)
早稲田大学卒業後、新卒でフリーランスのライターとして活動をはじめる。現在はサイエンス分野のライター業に専念しつつ、ブログやYouTubeでも情報を発信している。
鹿児島出身、イギリス在住。趣味はテニスと水彩画。

参考・補足

  1. 「社会人」という概念は英語にはないため、彼らを社会人と呼ぶか微妙なところではあるが。学生でも立派に働いている人、稼いでいる人は「社会人」ではないのだろうか、などと思うことがあるし、「社会人」であっても学生以上に社会的常識に欠けている人もいる。
  2. これも外国人と接していたからこそ至った考えなのだが、人々から羨まれるような企業で働いていることを自慢げに話しているの職務内容が「清掃係」や「雑用係」だったりした。それでも嘘は言っていないし、例え雑用係だとしても、そこで一流の人からスキルを吸収したり、キーマンにアピールして昇格したりといった向上精神があった。一般職と総合職、正社員と契約社員とはじめの段階で分けられており、フレキシビリティが小さい日本とは異なる考え方が多い。日本のやり方も、安定している、将来設計がしやすい、責任の範囲が明確でわかりやすい、などメリットもあるため、合う合わないは人次第で、一概にどちらが良いとは言えないが。

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