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AI時代のライターの在り方について

私はサイエンス系のライターをしている。

ChatGPTをはじめとするAIが文章を作成することができる時代になり、ライターの役割も大きく変化していくと感じる。

これからの時代は、ただ難解な事項をわかりやすく説明したり、読者の疑問を解決できたりする文章はAIが書いてくれるようになる。わからないことはAIに質問すれば良い。

そんな中、今後ライターに何が求められるようになるのか、どのようなライターが求められるようになるのだろうかを考えてみたい。

個性

まず考えられるのは、ライターその人の個性やキャラクターが求められるようになるということだ。

「あの俳優が好き」「あのアイドルのファン」というのと同じような形で、「あのライターが好き」「あの作家がお気に入り」と、ライター自身により価値が置かれる時代が来るかもしれない。

たとえば、夏目漱石。彼の文章を読むことに「喜び」を感じたり、その文章や洞察に芸術性を見いだしている人が「漱石が好き」と言う。だから、漱石の全集をすべて読破する。このように夏目漱石、彼個人に価値があるため、彼の著作が消費される。

仮に、夏目漱石の著作や手記をすべて読み込んで分析できるAIが現れ、夏目漱石の思考や文章スタイルをそっくり再現できるようになったとしたら、AIによる夏目漱石の「新刊」が発売されるかもしれない。

しかし、それは漱石の文章でありながらも、漱石という個人・個性に価値を置いているファンにとっては漱石の文章としての価値は持たない。

わたしは森博嗣やリチャード・ドーキンスが好きなのだが、単純に彼らの本をあえて選んで読んでいる。中には自分の好みではない著作もあるが、彼らの書く文章が好きで、彼らの思考・洞察を消費したいと思うから、タイトルと目次を見るかぎり自分の興味の対象ではないと考えられる著作にも手を出す。

GPT-4の文章を読んでいると、非常に読みやすいと思う。癖がない。理路整然としている。凪いだ海のようだと思う。

だが、個性や芸術は嵐や大波である場合もある。
荒れくれていたり予想不可能だったり、わかりにくいことすら個性として消費されるだろう。

森博嗣もドーキンスも時に非常に難しいことを論じることもあるが、それでも彼らの文章だから私は読む。

これからの時代は、個性を持ったライターがより求められるようになると思う。
ひとりの人間の個性が消費の対象となるはずだ。

また、この個性の存在箇所は文章や作中のみにとどまらない。
文章のみで痛烈な個性を表現するのは難しい時代になっていると感じる。

自分の文章をYouTubeで読み上げて発信するライターや、モデルやタレントとして活動するライター、研究者を兼業するライターなど、ライターが文章以外でも個性を発信する時代になると思われる。

一個人の意見や経験

AIが生成する文章は「模範解答」である。AIは膨大な情報・データに基づき、一般論や定説に基づいた文章を生成する。

しかし、一般論や定説以上に、一個人の意見や経験のほうが価値を持つ場合がある。

私はイギリスに移住するための計画を練ったり、イギリスの大学院に出願したりする際に、同様の経験をしたことのある個人のブログをかなり読んだ。

留学や移住は私にとって未知の領域であり、また周りに同様の経験をしたことがある人もいなかった。もし、知人に経験者がいれば、彼らに聞いただろう。だが、そのような人物がいなかったため、赤の他人であったが彼らのブログを読んだ。

この場合、そのブロガーまたはライター本人に価値を置いているわけではない。
彼らの経験や体験に価値を見いだしている。

私の場合、留学エージェンシーにも登録していたが、彼らからもらえるのは「模範解答」だけだった。
他によりよい方法や安価な方法がある場合でも、彼らは自分たちの売上につながるような回答や、または「通常はこうだ」という当たり障りのない回答しかしない。

近年、イギリスでは留学して大学から学位を授与された場合は2年または3年、就労ビザがおりるGraduate Visaという制度が開始されたのだが、これについて質問した時に、留学エージェンシーからは「Graduate Visaについてはサポートの範囲外なので、お答えできません」という回答が返ってきた。まさにAIやチャットボットとの会話のようだと感じた。

しかし、検索すれば留学経験者でGraduate Visaを取得した人のブログや記事がネットには落ちている。
私にとっては、留学エージェンシーや彼らのウェブサイトの情報よりも、一個人のブロガーの意見や経験の方が価値があると感じた。

また、同様の例として、私はテニスが趣味でテニススクールに通っているのだが、テニスコーチのブログは複数読んでいる。

テニスの技術やラケットやストリングなどに関する記事を参考にするのはもちろん、テニススクールやテニスコーチという職業の裏側や体験談などは、読み物として単純に面白い。
私のコーチもこんなことを思いながら指導しているのかな、などと思いながら読んでいる。

これは、前項の「個性」に繋がるところでもある。テニスコーチという職業を兼ねたライターである。単純にライターがライターとして活動するのは、難しくなるかもしれない。

しかし、異なる点として、わたしは上記に挙げたブログを書いている留学経験者やテニスコーチその人のファンではない。
ゆえに、自分の興味がない記事を彼らが書いても読まない。

だが、前者が一個人という「ブランド」を訴求しているのに対して、後者は「薄利多売」とでも言えるもので、広く一個人の経験に価値を求める人を読者としてターゲットにできるかもしれない。

発想力

AIは過去の事例を参照し、そこから生成物を作成するのに関しては人間よりも優れている。
特に、論理的に展開できるものであれば尚更そうだ。

これまでに価値があるとされてきていた文章のひとつに、定量的・定性的によりたくさんの読者の「問題解決」ができるという要素があった。

問題が生じたとき、例えば「逆上がりができない」とき、「逆上がりができるようになる方法」をインターネットで検索したり、書籍を購入したりする。

この場合、定性的には、逆上がりができるようになる正確な方法をわかりやすく説明している文章が求められてきた。

定量的には、逆上がりができなくて困っている人より、血糖値が高くて困っている人の方が多いだろうし、悩みも深刻な場合が多いだろうから、逆上がりの問題より血糖値の問題を解決できるライターの文章の方がより価値があると判断されてきただろう。

しかし、多くの人の問題となる事象の一般的な解決策だけならば、AIに聞いた方が早く、またわかりやすい。

では、そこで人間のライターに求められることは、過去の事例や一般論とは異なる観点から論じた文章だ。

一般には知られておらず、過去にも事例がない、逆上がりができるようになる画期的な方法があれば、それを説明した文章は価値を持つだろう。

これらは発想を必要とする。

一方、今までになかった考え方で、かつ過去のデータを参照しても導き出せないものを生み出す作業——つまり「発想」は、まだAIよりも人間が勝っているはずだ。

だが、すべての人間が発想できるかというとそうではない。
発想力があるライターは生き残るだろうが、過去を分析することによって考察することしかできないライターは淘汰されるかもしれない。

結合力

これは発想力の一部だと考えられるが、複数の事象を結合させて、さらに新たな概念を創出することができるのも、まだ人間がAIより優位に立てる能力といえる。

その結合させる事象は全く関係のないように見えるものである場合もある。
関連性のないものを組み合わせて新たなものを創造するのだ。

たとえば、ある記事でわたしは、日本が副業を禁止していることは少子化の原因であると論じた。
「副業禁止」と「少子化」という、一件関係のない事象を結びつけた結合力を発揮してみたのだが、いかがだろうか。

エンタテインメント性

努力やハードワークの重要性が訴求されるが、それと同じくらい身体を休めるのも重要である。
だが、休息を取る際、何もせずに休息をとる人は珍しい。多くの人が音楽を聴いたり、テレビを見たりしながら休息している。

その休息の時間を読書をして過ごす人もいる。
この場合、知識を吸収したり、ライターの発想や思考を消費したりするのではなく、単に娯楽を求めていることもある。

エンタテインメント性のある文章の筆頭は小説だろう。
それ以外にもエッセイや新書なども娯楽となるようなものもある。

エンタテインメント性のある文章は、まだAIよりも人間に勝機がある。
GPT-4はショートストーリーを生成することができるが、いくつか呼んでみたもののそれほど面白いとは感じなかった。また、おとぎ話や寓話にあるような教訓めいた話が生成される傾向が強い。

また、一般論や定説を述べなくてはならない場合、その一般論を面白い文章にして伝えることができるならば、それは読み物としての付加価値を生じる。

科学や経済などの専門的な話となると、難解で面白みのない文章を読まざるを得なくなる場合が多い。
もし勉強することが目的ならば、文章が面白くなくても目的は達成されているのだが、もしそれにエンタテインメント性を付加することできるならば、それができるライターは重宝されるだろう。

ライターにとって非常に厳しい時代となる

GPT-4は文章の生成において極めて優れている。今後、このようなAIがさらに進化していくと、5年後、早ければ2、3年後には、ほとんどのライターが転職を余儀なくされてしまうかもしれない。

ライターは単にライターというだけではなく、プラスして付加価値を求められるようになる。

その付加価値はAIには生み出せないものである必要があろう。
どのような付加価値を自分の強みとするかは、ライター個人の個性や経験、また能力に委ねられるだろう。

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