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真上の部屋で人が死んでいた

昨日、粗大ゴミをすべて出し終え、今日、マンションの退去の立ち会いを終えました。

わたしの住んでいたマンションは10くらい部屋があるのですが、最近、2部屋空室になっていました。
それに加えて、わたしも退去したので、空室は3部屋となります。

聞くところによると、空室のひとつは家賃が払えなくなったことによる退去らしいです。
半強制的な退去だったのだような感じでした。

日本の法律は借主に優しいため、退去までせざるを得なくなるとは、相当お金に困っていたのだろうと察します。物価が高騰したり、円安になったりして、身近なところに貧困が存在しているのかもしれません。

わたしの粗大ゴミが勝手に持ち去られていましたとブログに書きましたが、他人のゴミを持ち去らなくてはいけないような人が、わたしが住んでいた地域には意外といるのかもしれない。

そして、もうひとつの空室。

こちらに住んでいた方はお亡くなりになったらしい。
しかも、亡くなったのは部屋の中だったらしい。

この部屋はわたしの真上の部屋でした。
しかし、わたしは今日までなにひとつ知りませんでした。

顔も知らないし、名前も知らないし、性別も知らないし、死んでいたことも知らなかった。
一人暮らし用の物件だから、おそらくひとりでお亡くなりになった可能性が高そうです。

わたしはリモートワークだから、家にいる時間が多いです。
天井を隔てているといえど、その人が死んだ瞬間、もっとも近くにいた人間のひとりであった可能性が高い。

死は意外に近いところに存在し、またありふれた自然なことなのだと思いました。

死因は知りません。
他殺なら警察が来ると思うので、そうではないと思います。

病気か自殺か、でしょうか。でも救急車が来たのも知りません。
マンションでお年寄りは見かけたことがなかったので、老衰の可能性も低そう。

五日前くらいに上の階から業者が荷物を運び出していたので、お亡くなりになったのは先週くらいなのだと想像します。

隣人が死んでいても、なにひとつ知らないというのは都会ならではなのかも。
このマンションには3年以上住んでいましたが、オーナーさん以外の隣人の名前はひとりも知りません。

マンションに顔見知りもひとりもいません。
ただ人はやってきて、いつの間にか去っていく。すれ違っても挨拶すらしない人もいる。

繋がりが薄いのは別に悪いことではないと思います。良くもないけれど、悪くもない。
隣人付き合いがないのは、気楽だし快適でもあると思います。

ただ、隣で人が死んでいても気づかないのは、少々、何というか——。

現代において、もはや繋がりは物理的なものではないのかもしれません。

物理的な距離が離れているほうが、より繋がっている場合も多いかもしれません。
電話したり、メッセージを送り合ったりして。そして、この場合、電波によって繋がっているということになる。

電波は光速で進みます。
「見える」ということは、目に入った光を脳が認識しているということです。

遠距離の人と電波で繋がるのも、近距離の人と光で繋がるのも、もはやそれほど変わらないと考えられそうです。

光は壁などの障害物を直進することができないから、近くにいても見えないことも多い。
近距離だと音で繋がるということも考えられますが、光の速度は音の速度のおおよそ874,000倍だから、音は相当に遅い。

こんな理屈で展開していくと、現代は、遠くの人とほど、より繋がりやすくなっている時代なのかもしれません。

Lina (サイエンスライター)
早稲田大学卒業後、新卒でフリーランスのライターとして活動をはじめる。現在はサイエンス分野のライター業に専念しつつ、ブログやYouTubeでも情報を発信している。
鹿児島出身、イギリス在住。趣味はテニスと水彩画。

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